3.11と無関心

miyufukada.comを初めてから ずっと何をblogに書こうかと悩んでいましたが、3.11から4年経つという今日、私に何ができるかを考えていたら、書きたいことがポッと浮かんできたので、それについて綴ります。

 

東北大震災から4年。目にするのは、”責任はどこへ” ”政府の責任” "東電の責任" という文字ばかり。SNSでも強く政府や東電のことを批判する記事をよく目にする。確かに政府や東電としての責任はあると思うけど、自分以外の機関や人に責任を問い、すぐに何かが変わるのかという疑問にぶちあたった。私が行き着いた結論はNO。人や自分以外のことを変えるのはほぼ不可能。というか自分の身近なところから見直していった方が話が早いと思う。

朝起きて、まず電気をつけて、コーヒーマシンのスイッチを入れ、テレビをつける。このごく当たり前の朝の習慣の中で電気を使っている。戦後から生活が豊かになり、電気が普及し始め、みんなが当たり前のように電気を使う時代になった。そういう背景の中で電気を使うことに何も疑問を持たず、その電気がどうやって作られているのかにも無関心であり続けた故の結果が3.11に結びついているとしか考えられない。あんな大事故が自分の生活と結びつくはずがないじゃん!と、このブログを読みながら感じる人もいるだろう。では、ちょっと考えてみてほしい。うまく説明できないけれど、普段使っている電車やバス、そこに使われている部品を作っている工場が日本にあるとしたら、その工場は東電から電気を買っていることになる。自分の生活が豊かになるにつれて、その需要に追いつくために導入される目新しい技術や、機械。当たり前に毎日生活している日常的なことが、いろんなことに繋がっていると気づき、知ることで、様々なことが見えてくるはず。

コンビニや駅で見かける被災地支援の募金箱。募金をして、すっかりいいことをした気分になってはいないか?あの募金箱に自分の稼いだお金をいれる前に、一歩立ち止まって、この募金箱に入れたお金が本当に被災地に届くのかと、疑問に思ったほうがいいだろう。もしそのお金が関係ないところへ行き、募金と題してお金を集めているだけだったら?! あなたは間違いなくそんなところに募金はしたくないだろう。自分の行動に責任をもつということは、簡単ではないが、政府や東電に責任を問うよりも始めやすいことだと思う。

私たちが、ごく当たり前に毎朝起きて、学校、仕事に行くという生活がどれだけ無関心で、なんの疑いもなく当然のことのように生活しているのだろうか。

昔の日本人の生活に戻れとは言わないし戻れるとも思わない。ただ、電気も今ほど普及していなくて日が暮れたら仕事を終え、家に帰り家族と過ごす時間があったあの時代に今日本、日本人が向かうべきヒントが隠されている気がする。

3.11は自分自身の生活をすっかり見直すきっかけとなった。それは自分のことは自分で責任をもつということ。当たり前がどれだけ有難いのかということ。自分が食べているものがどうやって作られているのか、どこから来ているのか、自分の使うお金がどこに集められて誰の利益となっているのか。そういうことまで考えると、すごく奥が深く、今までどれだけ自分が無関心だったか、ただ自分の夢にむかって頑張って、どこか遠くの幸せを探し求めていたということに気がついた。それよりも日本人であることの誇りを取り戻し、日本の国や歴史が素晴らしいと賞賛されることがなぜなのか追求する。その方が身近に幸せを感じられ、私にとって重要で必要なことだと。

インターネットが普及して、いろんな情報を自分で調べればいくらでもゲットできる。なんでもかんでも他人のせいにして、常に受け身で、メディアを鵜呑みにして、無関心でいること、目の前のことを何も疑わずにあの人がこういっているからとか、日本人特有の悪い癖を見直して、自分たちで行動してみてはどうだろうか。